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過去ログ

2026年8月

9日(日)
アルフレッド・ヒッチコック『めまい』(1958)を見る。名作とされている所以は分かるし、面白かった。しかしこの作品のように入り組んだプロットに対して自分は苦手意識がある。ミステリーやフィルムノワールに対しても同様の意識がある。頑張ってストーリーを追う事に脳のリソースがさかれ、映画を楽しむどころでは無くなってしまうからだと思う。
続けて黒沢清『Seventh Code』(2013)を見る。手放しに賞賛したい大傑作。脚本の飛躍に輝かしい面白さがある。黒沢清作品の中でTOP3に入るくらい好きかもしれない。

8日(土)
黒沢清『DOORIII』(1996)
小中千昭さんが脚本という事で気になって見てみる。彼の著書「恐怖の作法: ホラー映画の技術」は以前恐怖映画についてのレポートを書くときに読んでみたら面白かった。思っていたより恐怖映画だった。

デヴィッド・リンチ『ブルーベルベッド』(1986)
同監督『ツイン・ピークス』のカイル・マクラクランが大好きなので彼が主演で見れて嬉しい。自信と知性、顔の良さ、そしてユーモアが顔に表れており、彼のはにかんだように笑う顔を見るとキュンキュンする。

イアン・ソフトリー『サイバーネット(原題: Hackers)』(1995)
アンジェリーナ・ジョリーの表情の不安定さというか、一瞬で表情がガラッと変わってしまいそうな雰囲気に引き込まれる。

7日(金)
夏期講習3日目。講習自体は午前で終わり、午後は先生に連れられて初台にあるICCの企画展へ。森永泰弘《Auto-ethnography: HAMAKAI》やローサ・メンクマン「イメージ・リメインズ」が良かった。講習は終わったのでそのまま帰っても良かったが、せっかく初台まで来たということで東京オペラシティ アートギャラリーで開催されていた青木淳とリチャード・タトル『ほぼ、空』を見に行く。どちらも勉強不足で存じ上げない人だったが行ってよかった。閉館付近の時間に行ったからか人もほとんどおらず、大きな展示室に自分と学芸員の方しかいないことも何回かあった。展示されているそれぞれの作品を味わうというよりも、あのようなオブジェクトが置かれている空間全体に目を向けてみるような構成になっている。あの素敵な空間にずっといる事が出来る学芸員の方が羨ましく思った。もし誰かとお喋りしながら見に行っていたり、休日に周りに人が溢れかえっている状態で見ていたら全然良いと思えなかった気がする。

6日(木)
夏期講習2日目。TouchDesignerの学習を粛々と進める。

5日(水)
メディアアートの夏期講習を受けに行く。3日間。結構ガッツリとワークショップのような事ををやるのかと思っていたらのんびりと、各自で制作をするというスタイルで少し肩透かし。気を取り直してTouchDesignerの学習を進めた。
講習が終わった後は幼稚園や小学校の幼馴染たちと会う。話す内容も当時とは全然違っているし、みんなビックリするくらい大人になっている。もう働き始めている友達たちは社会人の顔を時折見せたりで少し驚く。しかしあの時の関係は全く(!)変わらず友達だし、今の方がみんなの良いところを見つけられる。幼馴染たちもあの時持っていた素敵なものを今も損なわずに持っていること、それが本当に嬉しかった。

4日(火)
引越しにより全然映画を見れていなかったのでやっと見れて嬉しい。まずはエルンスト・ルビッチ私の殺した男』(1932)を見る。バイオリンを弾く時の主人公の表情と宿る暖かさ。画面から追い出される人間と、収まる人間たち。視点の切り替えのスムーズさ。すごい映画だった。
Instagramのリールで流れてきたマチュー・カソヴィッツ『憎しみ(La Haine)』(1995)を見る。被写界深度の浅さやめまいショット、鏡を使った謎構図。牛の飛躍。印象的な小話がいくつか挿入される。ドッキリだと勘違いする有名人の話。シベリア送りになった時の上品な友達の話。語り手は唐突に物語の中に導入される。どの話のオチは重視されていないが、その語り手の話し振りや過程そのものが面白い。
この映画で芯となっていたであろう「着地」について。堕落とは時に甘美な響きさえあるし、その過程だって魅力的だ。しかし永遠に堕落し続けていく訳にはいかない。いつの日か着地の瞬間がやってくる。それは決して備えるものでは無いだろう。落下には魅力があるし、どんな人間だって落下する事ができる。しかしいつまでだって落ち続けることの出来る深さと、その深さに耐えられる精神力を持った人間は、この世の中にはほんの少数であるという気がする。
メディアアートの先生からTouchDesignerをもっと詳しく知りたいなら比嘉了さんという方がYoutubeとかで解説されているという情報を聞いた。実際にこの方のホームページを覗いてみると、東京藝術大学の過去のワークショップの記録を全て公開していらっしゃったので進める。ありがたい!

3日(月)
無事に引っ越しが終わる。業者の方に頼んで一人で来られ、背丈は自分と同じくらい。しかしシングルベッドを1人で運んでいらっしゃり驚いた。とても感じの良い方で作業の合間に色々と話す。その方のお客さんの一人で、アメリカの映画業界で一旗あげようという方がいらっしゃったらしい。参入するために映画人が集うホテルに張り込み、コネクションを作ったそう。しかし観光ビザが切れて強制退去。アメリカでは名を上げれば罪が許されるみたいな謎風潮があるらしく、一旦アジア圏(インドらしい)で豆腐ビジネスを始めて頑張ろうとしている。その豆腐ビジネスは結構うまくいってるとのこと。
引越し先まで引越し人をトラックに同乗させることも多いらしく、その時に色々と話をするそうな。自分はこの後に引越し前の部屋にて不動産の方との立ち会いがあったので同乗はしなかった。残念。
旅行終わりの時のような寂しさがあったが、引っ越し先へ着くと荷物が届いておりそれの荷解きで必死で夜中まで作業した。疲れきって倒れ込む。

2日(日)
引っ越しの準備終わらず。包丁や鍋が捨てられてしまったため料理が作れなく、ずっと絶妙に行く機会が無かった家の前の中華料理屋へ。名店。家族連れが多く和んでいた。
家具を譲ったり冷蔵庫の中のものをあげたりで友人が何人かやってくる。そのうちの一人が去り際に部屋に敬礼のようなものをして去っていき、まさしく自分もそんな気持ち。家具を片付けると部屋が静かなことと、音が響くことに驚く。これまでは部屋にモノが多すぎたので音をたくさん吸収してくれたのだろう。

8月1日(土)
レポート課題2本を頑張って終わらせ、夜学へ。

2026年7月

31日(金)
引っ越しの準備を進める。我が家に物が多すぎて、というか捨てられない。2年前に誰かから貰ったどんぐりすら捨てられなかった。母親が家にやってきて鬼のようにバンバンと捨てていく。父親は全然物が捨てられなく、自分はこの血をひいているのだが母親は何の躊躇もなく誰かから貰ったプレゼントとかを捨てようとしてくる。3時間くらいギャーギャーと言って帰っていった。その後深夜まで作業を進め、全然終わらないし体は疲れてるしで疲れた。ゴミ袋は10袋くらい…もっと早くに中古サイトとかで売っておけば捨てずに済んだかもしれない…

30日(木)
授業でアリ・フォルマン、ヨニ・グッドマン『アンネ・フランクと旅する日記』(2021)を見た後に新文芸坐へクロード・シャブロル『女鹿』(1968)と『不貞の女』(1969)を見に行く。「今日みんなでシューレみたいなことやったよ」と声をかけられた。配信サイトでみんなが同じ時間に映画を見て、それについてオンラインで何人かで話したらしい(うろ覚えなので詳細は違っているかも)。映画のシューレはコミュニティやサークルではなく、運動でありたい。各々がシューレを開くというのは非常に健全な運動である気がしていて嬉しかった。
大学の前期もこの日で終わりということで打ち上げへ。専攻は一緒なのだがほとんど話した事が無かった方と、同じ日に矢崎仁司監督のオールナイト上映に行っていた事が判明。矢崎仁司のオールナイト上映に行く人間と仲良くなれないはずが無く、色々と話した。嬉しい。

29日(水)
期末ということとこの日でテストが全て終わるということもあり、二日連続でシューレを開く。黒沢清『地獄の警備員』(1992)を見た。活動レポート。本当であれば毎回書きたいし、書いておいた方が絶対に良いので後期はちゃんと書いていきたい。
シューレ、違う顔ぶれだったりで各回3~6人くらい来てくれてありがたい。このくらいか、あと1人2人増えるくらいの規模感がちょうど良いんだろうなという感じがする。10人くらいだとチト多すぎる気がするので。

28日(火)
シューレではジョン・カサヴェテス『ハズバンズ』(1970)を見る。

27日(月)
期末という事でレポートとテスト勉強を進める。

26日(日)
エルンスト・ルビッチ『陽気な中尉さん』(1931)を見る。モーリス・シュヴァリエのアヒルっぽい口の動きの滑らかさや、フランジーとアンナの横並びのショットにおける親密さが、映画は積み重ねによって雰囲気を醸成するものである事を教えてくれる。
以降夜学。

25日(土)
立教大学現代心理学部設立20周年記念特別講演会へ。『急に具合が悪くなる』のプロデューサー松田広子さんや、濱口竜介監督、『不気味なものの肌に触れる』にも出演された砂連尾理教授が登壇されていた。映画学科の友人2人に偶然会って嬉しい。
その後は代々木公園を散歩。雨が上がった直後だったからか、蝉の幼虫がたくさん地上に出てきていた。

24日(金)
ビクトル・エリセ『ミツバチのささやき』(1973)を大学図書館にて見る。見終えて少し後悔する。この大傑作は映画館の暗闇の中で見てこそ、その素晴らしさを遺憾無く発揮するであろうと思ったから。大学図書館のモニターではちと小さい。にしても素晴らしかった。

23日(木)
テレンス・マリック『天国の日々』(1978)を授業で見る。名作。
続けて大学で近日劇場公開予定の作品の試写会があり、行ったが全然面白くなかった。何度か途中退席しようと考えるほど(してない)。

22日(水)
映画のシューレではフリッツ・ラング『緋色の街/スカーレット・ストリート』(1945)を。参加した友人たちが「こういう映画の見方をしたのは初めて」と面白がってくれ、嬉しかった。画面上の動きやモチーフに目を澄ませて、それで気づいたことをみんなで共有したり分からない部分を一緒に考えたりするのはただただ楽しい。

21日(火)
野村芳太郎『八つ墓村』(1977)を見る。何回か寝落ちしてしまったらストーリーが全く分からなくなっていた。松竹映画の歴代に残る大ヒット作でありながらかなり癖が強い作品で(だからヒットしたのかもだけど)、ウトウトしながら見ても映像で楽しめた。

20日(月)
TouchDesignerというリアルタイム・ビジュアルプログラミング環境をメディアアートの授業で知り、面白くて着々とチュートリアルを進める。

19日(日)
オールナイトから帰り、まだ元気があったので課題を進める。見た映画たちが良かったというのもあると思う。
夕方、窓を開けて課題していたら道ゆく少年何人組かが「お腹いっぱいだわー、フランクフルトと、かき氷と、」うんにゃらかんにゃら聞こえ、近所で祭りが行われていたことを知る。

18日(土)
この日、自分が通っている大学で演劇祭的なことが行われていた。授業中に先生が野外でやっている演劇を見に行こうと言って、見に行く。30分くらいの短編。先生が見終わった後に「こう、夢か現実か曖昧な終わり方というか、夢オチみたいなのって苦手なんだよなー。みんなそうしたがるけど」的な事を言っていた。まあ分からなくはない。単にカッコつけたくて曖昧にしたんだなみたいな意図が垣間見える作品はたくさんあるし。ごく少数、それで恐ろしいくらい完成度の高い作品があり(瀬田なつき『彼方からの手紙』とか)、あそこまで技術が無いと中途半端なカッコつけになってしまうのだろう。
授業が終わり、新文芸坐に青山真治監督の『EUREKA』(2001)を見にいく。超名作。シネスコの意味が最大限発揮されていた。また見る予感がしている。
タイミングが合い、目黒シネマで開催されている矢崎仁司監督のオールナイトへ。夜は眠くなる人間なのでオールナイトは初めて。上映前に監督が挨拶に来られていた。イケオジ。「良い映画は眠くなるから、寝て起きてスクリーンを眺めたりしながら楽しんで」的な事を仰られていた。
『風たちの午後』(1980)は当時の録音環境のせいなのか登場人物たちのセリフが6割くらいしか聞き取れなくてムズムズしたが、一度も眠くなる事なく最後まで見れてしまったし、上映時間が110分だと思えないくらい短く感じた。『三月のライオン』(1992)はこの作品を見れたというだけで頑張ってオールナイトに見に来た価値があったと思える良い作品だった。『花を摘む少女と虫を殺す少女』(2000)は上映時間はAM3:45~AM7:55で、まさかの236分。『EUREKA』とオールナイトの3作品を合わせると1日で12時間スクリーンに向き合っている事になる。人生で最長。映画を見るということはエネルギーを使うことでもあるので、どこかで体力の限界を迎えるかと思っていたがどの作品も面白かったおかげで最後まで見ることが出来た。良い映画は眠くなるので『花を摘む少女と虫を殺す少女』は2回くらい寝落ちしてしまったけど。

17日(金)
大学前期の中で一番頑張らなければいけないテストが終わり、ここ半年で一番解放感を感じた。エルンスト・ルビッチ『君とひととき』を見る。続けて同監督のサイレント期の作品を見てみようと思い『出世靴屋』(1916)を。これはルビッチ本人が出演している。ルビッチって彼の作風からか背が高くてシュッとしたイケメンなのかなと思っていたが、この映画の中だとちょこまかと動く悪ガキという感じ。しかし女の子からモテていた(映画内では)。続けて同監督のサイレント期の名作と言われている『パッション 原題:Madame DuBarry』(1919)』を見る。群衆のシーンの描き方の見事さ。後期のルビッチとはストーリーや雰囲気は違うが、映画の撮り方が非常に上手いということはボンヤリと分かる。後期のルビッチ作品の雰囲気はここから出来ていったのかもしれない。

16日(木)
次の日の恐ろしいテスト(大学前期の中で一番頑張らなければいけない)の準備を進める。不安になっていた時にエルンスト・ルビッチ『天国は待ってくれる』(1943)と同監督『青髭八人目の妻』(1938)を見る。元気が出た。

15日(水)
授業と補講の外国映画史へ(台風の休校分)。ちゃんと聞くとものすごく面白い授業なので(しかし先生が滔々と語るのでいつの間にか寝ていたりもする)何としてでも行かなければと思っていた。出席は取らない授業で、しかも6限という遅い時間だったこともあり補講に来た人数は30人ほど。履修者は確か200人くらいいたのでは?必修だし。これは別に自分が憤ることでもないし、色々な理由があって来られなかったのだろうけど、30人て。来ていた友人たちは偉い。授業も面白かった。

14日(火)
急に不安になり落ち着かない時があるのだけれど、ほとんどの場合カフェインの離脱症状である事が最近分かった。そういう時に活字を読むと落ち着くし、するすると文字が頭の中に入ってくる感覚がある。今日も離脱症状が発生し、急いで図書館に行って読もうと思っていた「新潮」8月号 石橋英子さんと濱口竜介監督の往復書簡「死んで、生き直す――『急に具合が悪くなる』の余白に」を貪るように読んだ。この書簡で濱口さんがサラッと「何回でも失敗すればいい」という気持ちで挑んでる(意訳)という事を仰られており、前後の文脈もあってか読んでいて嬉しくなった。
エルンスト・ルビッチ『モンテ・カルロ』(1930)を見る。これも『ラヴ・パレード』に引き続きルビッチのミュージカル作品であり、超面白い。

13日(月)
フィルムノワールをまた見ることになり、ビリー・ワイルダー『深夜の告白』(1944)を授業で見た。また眠りに落ちてしまいそうになり、もしかするとフィルムノワールを見る時は他の映画ジャンルを見る時と違う態度で見なければいけないのかもしれないと思った。
続けてエルンスト・ルビッチ『ラヴ・パレード』(1929)を。ルビッチのミュージカルがつまらない筈が無く、画面に齧り付いて見ていたら一瞬で時間が過ぎ去ってしまった。

12日(日)
ホン・サンス『逃げた女』(2020)を見る。独特なカメラワークだが、見ていると結構慣れるものなのだと思った。続けてエルンスト・ルビッチ『天使』(1937)を。ヘイズコードのおかげで家族で見ても気まずくならないので、その点で結構ありがたい。

機会がありFuture Frequencies Festival 2026へ。
長谷川白紙目当てで行き、折角なので同日に出演しているKnower、Kassa Overall、YPY、松丸契も見に行くことに。YPY、松丸契は会場にそこまで多く人が詰めかけなかった事もあり快適に聴けた。YPYは気になっていたので最前列!自分の真左にスパンコールを全身につけ、蛍光黄緑髪の方がおり、暗闇でも何故かミラーボールみたいに輝いていた。松丸契はサックス奏者という事以外全く知らない状態で行った。サックスのみでの演奏なのかと思っていたら、鳴っている音が想像の数段斜め上でめちゃカッコよく最後まで見てしまった。Knowerも初めて聴いて好きになってしまうくらい良かった。しかし右前のドパ爺が落ち着いた曲の時になるとスマホを取り出してTwitter見始めたせいで画面が明るくて目痛かったし、大きい声で叫ぶ人間が多すぎて正直怖かったし時々飛ぶヤジが悉くつまらなかった。

長谷川白紙はやっぱり本当に良かった。
あの狂ってる(そ褒)リズムに振りなど存在できず、みんなで一緒の動きをするといったノリ的なものから遠く離れている。そのことで各々は自身が好きなように体を動かす。そして、流れる曲も彼の手によって大幅に改変が加えられ、知ってる曲が流れることによって分泌されるドーパミンもここではほとんど発生しない。時々アルバムに近い曲が差し込まれる事によって盛り上がったりもするけれど。
ところで、長谷川白紙くらい言葉を大事にしている音楽家ってほとんどいないのでは?という気がする(小沢健二も)。現在はどうか分からないけれどUnityで歌詞を書くというトチ狂った事もやっていたらしいし(文字の質感が分かるから何とかとラジオで仰っていたような気が…)。
彼の音楽は一度聞くだけでは耳が全く追いつかないし、歌詞に関しても何回聞いてもよく分からない。しかし歌詞には良質な現代詩のような強度があり、全体としてはよく分からないのだけれどスゴくてカッコ良い。
そのようなスゴさの中に潜む分からなさに惹かれる人が彼の音楽を好きになるのだと思う。そんな人達が集まるライブだからこそ居心地が良く、各々が孤独に楽しみながら聴いている空間にいて勇気を貰える。
だから!長谷川白紙の事が好きだし、好きが同じというだけで仲良くなれる訳ではないが彼の事が好きな人とは仲良くなれそうな気が勝手にしている。

11日(土)
エルンスト・ルビッチ『街角 桃色の店』(1940)を見る。流石の面白さ。
続けてジョン・スタージェス『荒野の七人』(1960)を。実はまだ黒澤明の『七人の侍』(1954)を見ていないので見て比較してみなければ。そしてデイヴィッド・リンチ『マルホランド・ドライブ』(2001)を見る。ラストシーンあたりの妙な感動。深夜に見たので時々ウトウトしそうになった。しかしそうなった時にピッタリなタイミングで印象的なシーンが差し込まれ、ハッと目が覚めるという事が3回くらいあった。デヴィット・リンチのバランス感覚。

10日(金)
ヤクザの子分になってずっとお皿洗いをしている夢を見てノロノロと起床した。夢の中ではヤクザらしき人たちが集まって酒盛りをしている。自分はその隅っこのキッチンで大量のお皿を洗っていた。なぜかパソコンもキッチンのすぐそばに置いてあり、開いてみると画面の中央右に突起が作ったような大きな凹みができている。黒のMacBook Pro。もし自分が作ってしまった凹みであればヤクザの人たちから酷いお叱りを受けるであろう恐怖に包まれながら、ひたすらお皿を洗っていたところで起床。良い夢を見るフラグが立てておいたのにナ…
現実世界に戻り、この日はデッサン強強先生からゴッホのバランス感覚はすごいとの教えを受けた。アーティストとしてのゴッホの力量は恐ろしいほどに高いが、これ以上行くと破綻するというラインをしっかり分かっており、プロデューサーとしてのゴッホもちゃんと彼の中に存在している。その二つのバランス感覚を取るのが超人的に上手かったからこそあそこまで有名になった、と仰っていた。映像においても、そのバランス感覚が無いと自己満足な作品になってしまうし世の中はそのようなもので溢れている。バランス感覚、とは社会と自分の間の距離感とも言えるかもしれない。

9日(木)
授業ではフィルムノワールをということでジャック・ターナー『過去を逃れて』(1947)を見る。プロットが込み入っててよく分からなくなり、画面がずっと暗めだった事もあって眠りに落ちた。
『Twin Peaks』(1990)を見進める。シーズン2に入り、登場人物が増え始めて誰が誰だか分からなくなり始めた。ハリーポッターとかも小説で読み始めたら誰が誰か分からなくなって読むのをやめた記憶がある。

久々にnoteを開いてみると二人の友達がそれぞれ更新していたので読み進める。一人は論文のような硬さのある文体でありながら、分かる人にだけ分かればいいと言ったような閉じたものにはなっていなかった。文章が上手いからこそ読みやすく、その人なりの新しい視点も提示されており楽しく読む。もう一人は思考の軌跡が文章の中に刻まれていた。そのようなものを読むと自分も何かを書きたくなってくるような、自分が考えたことを言葉にする事は素敵だと思えるような、そんな文章だった。
頼まれた訳でもない文章を書くという行為には、何かしらの過剰さがある。その過剰さは決して無意味ではない。伝えたくても伝わらないこと、自分が考えていること、いくら考えても分からないこと。それらをとにかく文章で書いてみようとしていたり、書く中で何とか整理してみたり、もっと広げてみたりしようとしている。自分の知っている人間(どんな関係性であれ)が、そのようなエネルギーを持っているという事が誇らしいのかもしれない。
何はともあれ友達の文章を読むということは率直にとても楽しいので、色んな人に書いてもらいたいなと思う。

8日(水)
オリベル・ラシェ『Sirat』(2025)を見に行く。レイヴと修道院。
ファミリーメロドラマ、ロードムーヴィー、ミュージカル?といった映画ジャンルのお約束ごとが意図的に壊されていき、あっと驚く。そして驚いている間に、どんどんと地獄へと進んでいく。気づいたら全く予想のできない展開になり、唐突に終わってしまった。「これをおもしろいと考える映画好きがいるのはわかるけれど、私にはどうしても悪趣味に思えた。」と自分の大学の先生が書いていらっしゃり「悪趣味」という言葉にしっくりと来る。そう、悪趣味なのかもしれない。しかし迫真さという点ですごい映画でもあった。
続けて黒沢清『黒牢城』(2026)を見たらズーンと疲れてしまった。面白かったかと言われると分からないが、一つ一つのショットにエネルギーがありそれに付き合っているとズーンと体が消耗している気がする。目線より少し高めの位置に置かれるカメラ。多くの場面で選択されるヒキの画。長回しにおいてここまで綺麗に役者がカメラに収まっているとなると、カメラが役者を追っているのでは無く決められた位置に役者が移動しているのだろう。その事前に指示された移動(恐らく)の中でも演技のクオリティは高く、プロの力量の高さが光っていた。

7日(火)
エルンスト・ルビッチ『小間使』(1946)を見る。彼が完成まで関わった最後の作品。ラストシーンでルビッチの技術の高さが垣間見えるし、全体がべらぼうに面白い。
最近大学で始まった映画のシューレでは、ハル・ハートリーの『Simple Men』(1992)を見た。

6日(月)
エルンスト・ルビッチ『ニノチカ』(1939)を見る。
ルビッチ作品の登場人物たちはお互いに目を合わせて会話をし、その様子がヒキで撮影されている。だからこそ画面上には親密さのようなものが発生する。『ニノチカ』もそのような親密さに溢れる素晴らしい作品だった。そして何よりもグレタ・ガルボとメルヴィン・ダグラスの演技の上手さに目を奪われる。自信に満ち溢れた立ち振る舞いや、恐らくは無意識でやっているのであろう目線や口端の動き。ルビッチの効果的な長回しや、脚本のテンポの良さによって俳優たちは一層華やぐ。

5日(日)
ユーロスペースとシネマヴェーラへ。

ロベール・ブレッソン『スリ』(1959)
映画館で見て良かったと思える作品だった。
登場人物の目線の上げ下げと手の動き。クロード・ベリ『チャオ・パンタン 4K』(1983)
最後のわざとらしいモンタージュ。

フレディ・M・ムーラー『緑の山』(1990)
最初の方は見方が分からず眠りに落ちてしまった。が、取材を受けている一人一人のこれまでの背景を想像する事で少し面白く感じてきた。高濃度と比べて低濃度廃棄物が決して安全なわけでは無いということを研究者が述べていたが、具体的にはなぜそうなのかをもっと教えてほしかった。

ロバート・ワイズ『生まれながらの殺し屋 Born to Kill』(1947)
ブレッソン作品に出てくる人物たちの繊細な演技とは対照的に、見ていて楽しく華があるハリウッド俳優たちの演技。ストーリーも面白かった。

4日(土)
侯孝賢『悲情城市』(1989)を見る。決してつまらない訳では無いし傑作だと思うのだが、何故か2回くらい眠りに落ちた。こういうコンディションの時はある。『Twin Peaks』(1990)を見進める。
機会があり、Meg Bonusと野口 文が出演しているSWANというイベントに行ってきた。会場はMoN Takanawaという高輪ゲートウェイにある建物で、新築という事もあり綺麗。各自で自分の椅子を取り、好きな場所に置いて見るというスタイルで対バンなので会場の入り口から入って右にMeg Bonus、左に野口 文のステージがあった。どちらも見えるように会場の中心付近に椅子を置く。Meg Bonusが演奏している後ろがガラス張りになっており、そこから見える高輪ゲートウェイの風景が見応えあった。野口文は聞いている間に音が段々と身体に沁み込んでくる感覚があり、次にどのような音が来るのかと楽しみながら聞いていた。
帰り道に近所の名店に寄ってみると、マスターが一人でカウンターに座って映画を見ていた。普段は夫婦二人でやっているのだが(マスターは基本的にカウンターに座ってお客さんとおしゃべりしている)、この日はママが酔っ払いすぎてしまった為先に帰らせたそう。普段もこうして朝までカウンターで映画を見ているらしい。
歓迎してくださり、マスターが大好きなラデュ・ミヘイレアニュ『オーケストラ!』(2009)を一緒に見た。この映画ではラストでオーケストラがチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲を演奏する。お店のスピーカーが何故かめちゃめちゃ良いのも相まって、このシーンを見て不覚にも涙ぐんでしまった。マスターは泣いていた。オーケストラ繋がりで続けてヘンリー・コスターの『オーケストラの少女』(1937)を。これもマスターが大好きらしく、見ている間にディアナ・ダービンをしきりに誉めていた。ストーリーも、ディアナ・ダービンの歌声も最高級だった。映画を見終わり、丑三つ時だったのでお暇することに。お金を払おうとすると映画を見るのに付き合ってくれたから今日はいいよ、と財布を出さずに終わった。ありがたや。

3日(金)
瀬田なつき『Homestay』(2022)を見る。森絵都の小説『カラフル』が原作でAmazonオリジナル映画として製作されたらしい。
同監督の『ジオラマボーイ・パノラマガール』(2020)に引き続き山田杏奈さんの表情が素晴らしいし、主演の長尾謙杜さんのはみかみ具合がとても可愛かった。

2日(木)
フランシス・フォード・コッポラ『地獄の黙示録』(1979)を授業で見る。見終わった後、映画のエネルギーの重さにズーンとした気持ちになってしまいお昼頃であったが食欲が湧かなかった(朝食も食べていなかったのに!)。蕎麦なら食べられるだろうということになり蕎麦屋へ行く。

1日(水)
瀬田なつき『彼方からの手紙』(2008)を見る。東京藝術大学大学院映像研究科第二期生修了作品として制作されたらしい。自分がこれまで見てきた映画の中で、最高の一本に入るであろう大傑作だった。パンフレットの中で当時同研究科で教授を務めていた筒井武文監督が「突飛な前衛的怪作でありつつ、見車なハートウォーミング・コメディでもある形容しがたい、これこそ映画の奇跡と呼びたい一作。これに号泣しない人とはお付き合いしたくないとまで思わせる。」の仰られている。本当に、これに号泣しない人とはお付き合いしたくない。